回想記 - Vol. 1

回想記 - Vol. 1

大学4年生になったばかりの1992年春のことだった。ガンバ大阪の練習に参加する機会をもらい、神戸大学サッカー部のチームメイトふたりと京都の田辺にあるガンバ大阪の練習場へ何度か通っていた。当時の監督は釜本さんJリーグ開幕を翌年に控えていたこともあって、グラウンドは大変活気に溢れていた。

当時、神戸大学サッカー部は関西学生リーグ1部に所属し、春期リーグでは8チーム中3位につけるなど、弱小チームながら奮闘していた。個人的にも3月に開催されたデンソーカップ(大学の地域選抜チームによる対抗戦)に関西B選抜として参加し、優秀選手に選ばれてオールスター東西対抗戦に出場するなど、自分でも信じられない状況に面していた。この試合には秋田、相馬、奥野に藤田、名波、池田(伸康)、三浦(文丈)など、当時の大学サッカー界のスターが勢揃いしていて、非常に緊張したことを覚えている。おそらく多くのスカウトが視察に来ていたのだろう。

4月から何度かガンバ大阪の練習に参加していたが、7月に浦和レッズの強化担当の方から家に直接電話がかかってきた。「こちらとしては獲得するつもりでいるが、一度練習に参加してもらいたい」という内容の電話であった。ガンバの関係者から浦和が私に注目しているらしいという話は聞いていたが、その当時Jリーグにどのチームが参加するのかさえ知らなかった私は、友達に聞いて初めて浦和がJリーグに参加するチームの一つだということを知った。

「信じられない」というのが最初の感想。ガンバ大阪の練習参加も他のふたりのついでに参加させてもらっているものだと思っていた。そこへ他チームから獲得を前提とした練習参加の声がかかったのだから、驚くよりしかたがない。7月に関西学生選抜でのドイツ遠征を控えていたので、三菱の練習には8月に入ってから参加することになった。

レッズは調布のグラウンドで9月に開幕するナビスコカップに向けて合宿中だった。宿は調布の駅前にあるホテル。京都駅から新幹線で東京に向かい、田町の三菱自動車本社へ。そして、当時スカウト担当であった関口さんと対面し、地下のトンカツ屋で昼食をごちそうになってから調布のグラウンドへ向かった。

記憶に残っているのは、尾崎加寿夫さんと望月聡さんが非常に親切に話しかけてくれたこと。そして、土田尚史さんからは、やぶからぼうに「お前、神戸大か。俺は大学の時にお前らの大学に2部に落とされたんや」と丁寧なご挨拶を受けたこと。レッズでの現役時代も土田さんの練習生に対する’挨拶’はチーム名物となっていた。私がスカウトをしていたときは、「練習生には話しかけないで下さい」とお願いしていたのも事実だ。

その一方で練習内容はあまり記憶に残っていないが、紅白戦に出場して満足するプレーができたことは覚えている。宿で同じ部屋だったのが村松さんと佐藤英二。とても親切に接してくれたのに、「めちゃくちゃ愛想悪かったぞ」と後に村松さんに言われた。おそらく、緊張していたのと、関東の言葉に慣れなくて話しづらかったからだろう。

全般的に練習やメンバーの雰囲気が非常に心地よく、コーチ陣の私に対する評価もかなりよく感じられたので、地元から遠く離れたレッズに入団することを選択した。最終的な返事をしたのはたしか9月の終わりか10月に入ってからだったと思う。決め手は、森監督の「うちへ来いや。あれこれ考えんでええから」という台詞だった。それにアルゼンチンに1年間留学させてもらえるという条件がとても魅力的に映ったのも事実。(だが、結果的には入団してすぐ試合に出るようになったので、留学の話は消滅した。)

こうして私のプロサッカー選手としてのキャリアはスタートした。