回想記 - Vol. 2
1993年の1月、まだ大学を卒業する前にレッズのトレーニングへ合流することになった。というのは、レッズが2月にアルゼンチン遠征を予定していて、その遠征に参加することになったからだ。遠征の2週間ほど前に東京でトレーニングし、そのままアルゼンチンへ向かった。
当時、まだレッズは三菱の調布グラウンドで練習していて、選手寮も調布にある三菱自動車の社員寮を利用していた。私も2週間の短い間だが、その寮で寝泊まりしていた。
この間の練習についてはあまり覚えていない。ただ、山崎真という鹿屋体育大学出身の選手が私と同じようにアルゼンチンへの遠征にむけて練習に参加していた。ふくらはぎが桜島大根みたいにしっかりしていた選手だった。おそらく、私の太ももより太かっただろう。鹿児島のなまりに少しホッとしたことを覚えている。というのは、最初は標準語に馴染めなかったし、年下の選手に関西弁をまねされて、結構心地悪い思いをしていたからだ。
東京という街も生活をするのは初めてだったので、大阪や神戸、奈良と比べて生活のリズムが非常に速く感じられた。そして、たまたま入った店がそうだったのだろうが、うどんがまずかった。そして、もんじゃ焼きに関心した。(最初どうやって食べるのかわからなかった。)
この時期、まだ埼玉に足を踏み入れたことはなく、最初に向かったのは3月に入ってからだと思う。たしかこの1月に新宿の焼き肉屋で行われたレッズの納会に参加した際、初めて福田さんにお会いして話をした。日本代表として活躍し、時の人である福田さんに話しかけられ、緊張しながら肉を食べていた。そしてしきりに「食えよ」と声をかけてくれたのも覚えている。ただこの頃、福田さんはワールドカップ予選にむけた遠征やトレーニングでアルゼンチン遠征には参加できず、レッズの練習にもあまり来れなかった。
そして、レッズの元社長である伊達さんという方ともそこでお会いして挨拶をした。伊達さんは神戸大学出身で私の先輩にあたる。「三菱自動車に入社するんじゃないのか?」と冗談まじりに聞かれたのはこの時が初めてだったが、その後他の人にも何度か同じことを言われた。
東京での練習を終え、2月の頭からアルゼンチンへ向かった。