回想記 - Vol. 5

回想記 - Vol .5

アルゼンチン遠征から戻った後も、しばらくはまだ調布で練習していた。本格的に浦和へ移動したのは4月の頭からで、3月いっぱいは以前と同様に調布のグラウンドを使用していた。この時もまだ我々新入団選手はビジネスホテルで生活をしていた。確か飛田給の駅から歩いてしばらくのところであったと思う。

そして4月に入って浦和へ本格的に移動し、練習も浦和で行われることになった。ただし、大原のグラウンドはまだ完成しておらず、練習場は荒川の河川敷のグラウンドを主に利用していた。大原を使い始めるのはおそらく夏に入ってからだったように思う。生活の場所は北浦和の駅から歩いてすぐのところにあるラディアントホテルという今は無きビジネスホテルであった。新人と若手選手はそこを寮にしていた。上木崎のクラブの独身寮ができるのがこの年の11月であるから、約半年ホテルの部屋で生活していたことになる。

あまり気にはしていなかったが、やはりビジネスホテルでの生活は非常に窮屈なものであった。国道沿いということもあり、非常にやかましい場所であったし、部屋は狭く風呂はもちろんユニットバスでお湯を張る気にならないほどの大きさであった。ただ、食事は非常に充実していたように思う。選手にとって大切な食事にはおそらく気を遣っていてくれたのだろう。とはいえ、風呂の存在も体調管理には非常に重要な要素であり、練習場に風呂が無かったため、その頃は頻繁に健康ランドへ出掛けていた。

5月のJリーグ開幕を前に、浦和へ移った後、4月一杯はプレシーズンマッチで日本全国を転々としていた。覚えている限りでは、長崎、熊本、仙台、静岡、群馬、 鳥取。

レッズのユニフォームを着て初めて試合に出たのは、群馬でのヴェルディとのプレシーズンマッチだった。途中から出場したのだが、観客の多さと自分のプレーに対する観客の反応がとても印象に残っている。正直言って、大観衆の前で試合をする経験がほとんどなかった自分にとっては、あの試合がプロとしてのデビュー戦だったと思う。その後、数々のプレシーズンマッチをこなすが、あまり印象には残っていない。ただ、鳥取での試合で先発出場し、1得点1アシストしてマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたことは忘れられない。

この当時は初めての体験に驚く毎日だったように思う。そして、ブームになっていたJリーグの当事者ということもあり、半年前とは考えられないような環境の中に放り込まれていた。浦和という街も関西人の自分にはまだ心地良い環境とはいえず、標準語を話す周りの選手の会話にも入り込めなかった。ただ、毎日を必死に過ごしていたのであっという間に時間は過ぎていったが。

そして、そうこうしている内にJリーグの開幕を迎えることとなる。