回想記 - Vol. 8
1994シーズンは、リハビリから始まった。左足首腓骨骨折という全治4ヶ月の大けがをし、手術で金具を入れ、3ヶ月後にその金具を取り除く手術をもう一度受けた。
1993シーズンを最下位で終えたレッズは大型補強をし、横山監督のもと新シーズンを迎えた。浅野さんや田口さんをはじめとする元日本代表の選手が多数入団し、50人を超える選手を抱えることとなった。そして、シーズンの途中でギドがチームに参加した。まだJリーグバブルの最中にあり、相変わらずの盛り上がりようではあったが、チームの成績も相変わらずのものであった。そして、このシーズン終了頃からJリーグのバブル崩壊が始まったように覚えている。
私個人は、春先にけがから復帰したものの、チーム内でのポジション争いに苦戦し、結局このシーズンは1試合も出場することはなかった。50人以上に膨らんだチームは、結果的にシーズンの終わりに20人近くの選手を解雇することとなった。私自身も解雇されても文句は言えない状況であった。
この解雇通告の時期、私は寮生活を送っていた。今でも思い出すが、解雇通告がされる前日の夜、次から次へと若い選手達が私の部屋に飛び込んできて、「クラブに呼び出されました。解雇です」と報告しにきた。彼らは、ある意味、犠牲者ではないかと私は思う。プロ化と共に、クラブはプロ選手を抱える必要があり、プロというレベルに達していない若い選手を多数獲得し、契約した。私自身も正直言って、入団時はプロといえるレベルの選手ではなかった。そういった選手達は結局わずか数年でプロの世界を去ることとなる。Jリーグブームに揉まれ、多額の給料をもらい、そして突然現実にさらされたのである。時代の移り変わりには、こうした犠牲も避けられないのかもしれないが、自分の周りに起こったことを認識したのは数年後であったように思う。
この1年で、私はプロとしてプレイしていく上で必要なものを学び、準備したように思う。メンタル面から、フィジカル、栄養、生活全ての面でストイックに、サッカーだけに集中していた。シーズン終了時にかろうじて契約を更改した私は、次のシーズンを崖っぷちに立ったような緊張した気持ちで迎えることとなる。オフシーズンも、もちろん休まずに自主トレしていた。給料も大幅にカットされ、遊ぶ余裕がなかったこともトレーニングに集中できた理由だったかもしれない。この年はサッカー選手として試合に出場できず、練習ばかりでストレスの溜まる1年であった。